こんな事を思った
俺は断食をたまに行っている。
理由は心身の変容が動機だったが、断食を入り口に断食による健康とかもそれなりに調べた。市販されている断食や不食に関する本は大体読んだ。
という前提で
ある時健康、または健康食品に詳しい人と話す事が出来た。その人は医療関係者ではないものの、好きこそものの上手なれで健康・健康食品について博識だ。
食物の成分もそうだが、無農薬とか、食物の製法、または調理法に至るまで結構詳しい。
俺は色々教えて貰っていた。
そしてカジュアルに話せる状況だったから、俺から断食についてその人に話した。
すると、なんというか…断食に対しては聞く耳持たずという感じで、完全に入っていない感じだった。
昔断食をした事や調べた事があって聞いていない感じではなく、本能的に拒否している感じ。
勿論俺は断食を売るセールスマンでは無いから関心があろうが無かろうがどうでもいい。ただの話題提供のつもりだった。そしてすぐその会話は終わった。
しかしこれはとても興味深い経験で後々にも印象に残った。
その方はかなり健康や身体というものに関心を持ち、調べ勉強している。
俺からすれば、その延長に断食という方法論にどこかのタイミングで出会わないものなのか?と思うのだ。
つまり何かを食べて健康になるという足し算の世界観ではなく、そもそも食べなくていい、という引き算の世界観の健康法の一つが断食、または少食なのだ。
俺は断食の効果ついて科学的医療的な説明は出来ない。しかしまず俺自身の体感的なものや、断食を習慣としている人からの話からある程度それが効果を及ぼす事は信じて良いだろうとは思う。
断食道場に毎年年末3週間過ごすというおっさんに出会った。彼は血圧が高い。しかし3週間断食すれば一時的だが正常に戻るそうだ。
そこから日常の食生活になり、また血圧は上がっていくのだそうだ。
よく考えれば現在のように3食、約5時間おきに食事を身体に摂り入れるというのは人間の歴史から見れば相当短い。ここ200年とかの話では無いのか。そう考えると相当内臓に負担をかけている、と俺は思う。
まぁいいか。断食の話は
つまり言いたいことは、
その人は健康に関心があり、それを突き詰めている。俺も健康に関心があり、断食をしている。
しかしその人は健康食品を身体に入れる事に関心はあるが、そもそも食を断つ、という方法による健康法は関心すらない。
どちらも、健康には関心があるはず。なのに全く関心が持てない。これは何なのだろう。
そこがとても興味深かった。
一言で言えば感性というか、琴線に触れるものがあるかだとは思う。食を断つというのはその人の琴線に触れなかったアプローチなのだろう。
同じ方角を目指しているのになぜセンスによって分かり合えないのか、そこが面白いなと思った。