今夢の中で柘植にあった。夢なので現実ではなく支離滅裂だが、柘植はハードルを趣味でやっていた。変わらずいいやつだったが、俺には関心が無いって感じだった
寂しかったが、リアルな感じだった
今夢の中で柘植にあった。夢なので現実ではなく支離滅裂だが、柘植はハードルを趣味でやっていた。変わらずいいやつだったが、俺には関心が無いって感じだった
寂しかったが、リアルな感じだった
風邪で町医者の病院にきて、受付を済ます
『おおよそで構いませんので、どのぐらいの時間で見ていただけそうか教えていただけますか?』
と受付の方に尋ねる
『前に7人いらっしゃいますので、大体30〜40分ぐらいかと』
※医師は1人体制
…という事は1人5分っていう算段でいるわけなんやろうな。1人5分って適当なもんやなぁ。そりゃ儲かるなぁ
と思う。
職業に貴賎はないという言葉があるが、ほとんど多くの人は職業差別をしている
まぁ洗脳されているともいえる
ただ世間体や体裁のために職業差別をしていないように振る舞う
そこで職業に貴賎はないというのだが、もうそれは単なる意味のないキャッチフレーズ化しており、それを言っておけばいいとなる
中身など無いのだ
例えば過去にカルト宗教組織に入りはまり込んでいたとする。
しかし脱退し、今は、あれはあの組織はつまりカルトだったのだと理解したとする
その状態になったらその人は、その組織に未練はないだろう。辞めなければよかったと思っている時点でカルトからの洗脳が解かれていないのだ
未練が幾許かでもあるかどうか、それがカルトからの脱退出来ているかいなかの尺度
それはビジネスなのか人助けなのか、これは結局お金を取るか否かではないだろうか
またはお金をとってもいいが、それは運営費というか最低限の維持費としてか
お金を払った方が緊張感がある程度担保されるとか。
だから目的は人助けでありお金では無いというスタンスであるか。
カウンセリングなどもそう。結局金を払って相談に乗る、話を聞くというのはビジネスであり、利他ではないのだ
例えば40歳とかになって海外の大学院に行くとする
明確に深めたい学問があるという訳でもなく、ブランドや人脈作り、安全な範囲でのチャレンジ、モラトリアム、キャリアアップが実は目的だったりする
それらはおそらく実社会に戻って意味はあまり無いとは思う。しかしだからと言ってそれを他者が悪くいうのは違う。本人がしたいならばすればいい。
一方、そのキャリアを歩んだ人がそれを評価して欲しいと他者に求めるのも違うと思う。評価するかどうかは他者のモノサシ基準であり、自分ではないのだ。まな板の上の鯉なわけで、まぁ悪く評価されることもないが、別に何のプラスでも無いと評価される事もあり得る。
つまり自分がやりたいからやっている、以上、以外は無いのだ
インスタのTwitterみたいな機能にふと思った事をメモがわりに書いていたのだが嫌になってやめた。やめた理由はその他の投稿が嫌でも目に入り、それはノイズになっていると思ったから
でここに書くがこことの違いはスピードだと思う。ここのはめんどい