今日はなんか文が書きたいような気分
愚痴りたいみたいな
数年前の出来事
よく新幹線の座席をどの程度倒していいのか、または倒すときに後ろの人に声をかけるか、または後ろの人に許可を取るべきか、というハッキリとした正解が無いことが議論になる事がある。
芸人さんの面白話でもそれらは扱われ、人によっては、フルで倒す事はマナー違反で許可を得て少し倒すのはいいとか…
いや、そんな事必要なく、フルで倒していいとか
芸人さんの笑い話の中でも微妙に意見が割れている。
何でフルで倒されなあかんねん!という笑いと
何で後ろのやつがシート倒していいか権限持ってんねん!
という対立だ。
これは一つには新幹線の利用頻度の問題もあるのではないか。と個人的には思う。
例えば一年に一度程度新幹線を使う人はこの話を聞くとフルで倒すというのはマナー違反・横柄と感じる人もいるかも知れない。
何故ならばフルで倒すのを車や高速バスと同じような感覚でいた場合、確かにそれは後ろの人が窮屈だと初見では思うだろう。
ここで俺の意見をまず言う。
俺は俺の前の座席の人が何も言わずフルで倒しても何とも思わないし、別にそれでいい。
そして個人的には俺も後ろの人に何も言わずにフルで倒してもいいとは思う。
しかし、実際それはしない。
世論の声は理解は出来るので、後ろの人に声をかける。
この場合は倒していいかの許可を取るのでは無く『倒します〜』という宣言だ。相手の様子を観ながら。
許可と宣言は異なる。ここは自分の中でもハッキリ異なる。
上記の芸人さんの面白話のスタンスで言えば、俺は『何で倒していいか・いけないかを後ろの人が権限持っているの?』と思うのだ。
勿論俺が倒す権限を一方的に持っているとも言わない。しかし相手が倒すか否かの権限も持っていないのだ。
そしてフルでは倒さない。何故ならば1時間半程度でフルでどうしても倒したい欲はないからだ。世論の声も理解しているのでそれを押してまでどうしてもフルで倒したいほど快適でも無いし。
この意見になった背景は、単にフルで倒したところで後ろの人も別に狭くも無いし、不便では無いのだ。
よく急に倒すとお茶がこぼれるとか言う人がいるが、それは実はよく理解していないだろう。
今の新幹線の構造はそもそもフルで倒したところでペットボトルが触れたりする事はない。そうゆう構造になっているのだ。やってみればわかる。
相当意図的な乱暴な倒し方をしない限り。
つまり高速バスとは違うのだ。
高速バスは確かに狭い。足が挟まれる事もある。その場合はやはり配慮が必要だ。
しかしこうゆうと、必ずこう言った意見が出る。狭いと感じるか否かは個人の主観だろ。
それはその通りなのだ。
芸人さんの面白話でもフルに倒された事で感じた圧迫感を笑いのネタにしていた。
おそらくグリーンが、エグゼクティブシートのはず。それでもその人の主観では圧迫感があったのだ。
それについて俺はその人のわがままだとか、その主観はおかしいとかは言えない。
なぜならば主観はあくまでも個人の自由だし、他人がとやかく言うことではないのだ。
それはラーメンの温度と同じだ。熱々のラーメンが美味いと感じる人も、ぬるいラーメンがいい人もいる。
熱々のご飯よりも、おひつに入れて温度と湿度を調整したご飯の方が美味いと感じる人もいる。
どちらかが正解ではないのだ。
でただこうは言いつつ、こんな事もあった。
フルで倒す事はいいのだが、前に座っていた人が、フルで倒したまま降りていったのだ。
つまり、東京〜新横浜間の新幹線で、前の座席に座っている人がフル倒ししていた。
そして新横浜で倒したまま降りたのだ。
後ろに乗っている俺は新横浜から名古屋の間1時間以上前に誰も乗っていないのにフルで倒されたシートの後ろにいないといけない。
こうゆうと倒したままで気にならないならば、倒したままでいいのでは?と思うかも知れない。
しかしそうではない。それはマナー違反なのだ。
構造上対して狭くはないのだが、それでも多少は狭さを感じる。前に人がいないのにフル倒しで後ろに座っているのは別に良い気分ではない。
前の人が単に忘れしまっただけならば寛容に思うけど、そもそも人のことをあまり考えない人であった可能性もある。
その人のキャラクターはわからないが、そうゆう事が想像できない人だったと思うと少しイラつく自分がいる。
こうゆう話をすると、シートフル倒し反対派に反論の余地を与えてしまうかも知れない。
ほらやっぱり倒されたくないんだろう。と。
それとこれとは話が違うと自分の中では整理があるのだけど。
しかしこういったマナーとか主観とかの話は正解が無くて興味深いテーマだとは思う。
微妙な前提条件によって話の立ち位置が変わるからだ。