引っかかるポイントは人それぞれ違う
基本は引っかかるポイントが少ない人の方が不満は少なく、ストレスも少ないだろう。
以前このような会話を知り合いとした。
俺はテンションが落ちることの一つにぬるいラーメンが出てくる事がある。
ぬるいにもレベルはあるし、温度を測るわけにもいかないから何となくの感覚だけれども
俺としてはやはり熱々である方がいい。
だから特にラーメン専門で、人気店でぬるいラーメンが出てくるとテンションがかなり下がる。大袈裟に言えば嫌な気分になる。
何故だろうか。
それは手を抜いているように思うからだ。ぬるいというのはどこかにぬるくなるポイントがあるはずだ。ラーメン屋をやった事はないものの、その手際を動画とかで見ていると幾つかぬるくなってしまうだろうポイントは見つかる。
しかしぬるくならないないように出しているラーメン屋はそこをしっかりやっているのだろう。だからぬるいというのは味のセンスというよりもやる気というか、こだわりの表れなのだと思う。つまりまぁいいか。と出されたように思うのだ。
それがテンションが下がるのだ。
以上の事を細かくは言わず、この前あそこのラーメン屋行った時、ぬるいラーメン出てきて残念やった。みたいな事を知り合いに言った。すると知り合いから
そんなもの個人の好みやろ
と言われた。
ぬるいラーメンの方が好きな人はいるやろ。という主張だ。
ちなみにその知り合いは猫舌でラーメンを別の器に移して食べている。
だからだろう、余計にそう思ったのだろうか。
まぁこの意見の相違も少しガチャっとしたのだが、このやり取りは後々俺の中で少し思い出すエピソードだ。
もし俺と彼が一緒に働いていたとして、俺は熱々のラーメンを出すべきだと思っているし、そのようにオペレーションをしたい。
しかし彼は別に熱々にこだわりはないどころか少し冷めた方がいいとすら思っている。
もし一緒に何かを成し得ていこうと思ったらうまく行くだろうか。
仮にラーメンはやはり熱々の方が多くの人にとって良いという結論に達して、二人の間でコンセンサスが取れたとしても、彼は本当に心から納得はしていないだろう。
俺がいない時や、日々の中で少しずつ、多少ぬるくても別にいい、という風になっていくのでは無いだろうか。
だから何かを成すときは、独断と偏見が実は良いのかも知れない。
お前の意見は知らんから、黙って熱々のラーメンを絶対に妥協せず出せ。と。
いう事を聞いてもらう代わりに、上手くいかなかった責任も指示を出した側にあるのだが