繋がっていること

僕は小学生低学年頃から自分の映った写真やビデオを見る事ができない。

 

親父が昔8ミリビデオを撮っていたが、未だに見れない3歳程度までは見れるけどそれ以降少しずつ自我が芽生えた自分は可愛いと思えない

 

生意気だし、見栄っ張り

 

仮に今そういった子供を見ても多分かわいいと思えないと思う

 

僕の自己肯定感の根底的な低さはここにあると思う。

 

しかし自己肯定感の考え方は結局自己愛だ。

 

生意気で見栄っ張りで気が小さい、というのは等身大の自分であり、一言で言えばそうゆう人ということだろう

 

しかし自分の中でそんなのは自分じゃないもっといい感じだというナルシズムがあるとそこにギャップが起きて落ち込む

 

ありのままを受け止めていればギャップはない。しかしありのままを受け止めていないからそこにギャップがあるように主観的には感じてしまう

 

そもそも始めからギャップなどないというかギャップという物差しを作り出したのは誰でもない自分自身の期待なのだ

 

自分自身が期待を作り、その期待した自画像と合ってないから自己肯定感が低くなる…落ち込むというのは客観的に見れば滑稽だ

 

まさにナルシスト。ということになる。恥ずかしい限りだ

 

という事に段々あたまが整理されて理解ができているのだけど、ふと思うのが

 

それも含めて自分自身なのだということ。

 

そのいじいじしている自分も含めて、自分の等身大という事なのだと受け入れることが出来れば気持ちは楽になるだろうなと思う。

 

まだ出来ないけど