僕はすごく親しくしている、ほどでもないが
定期的に会う、というレベルのキリスト教の牧師の人がいる
今その人のことが夢に出てきたので、なんか頭が繋がった事を書いておこう
その人、というのか、キリスト教の牧師、というのか、どうしてもキリスト教の牧師というアイデンティティが幾分かその人への期待値を上げてしまっているようなところはありそうだが、2回失望したことがある
1回目はおつりをチョロまかそうとしたこと。
おつりをチョロまかそうとしたのはその時はよくわからなかったが、後々時間が経ってあの時起きたことや、その時の表情や言動がなんとも誤魔化そうとしている感じがあって、それが後から辻褄があってきたときに冷めたところがあった
2回目はキリスト教の牧師ということで、少し心情吐露というか、こんな話をした
仮に生きていたいという欲と、怖いけれど死にたいという欲があって、生きていることに何か支えるものがなくなったときに自分を生かしておくようなものが無くなる気がする。つまり死を選ぶ。
というような事を話していた時の返しが、腫れ物に触る(厄介なことに巻き込まれるため、流す)ような感じだったことだ
それまで機会がある毎にキリスト教への入信を勧めていたのにも関わらず、一番入信をするチャンスかも知れなかったとき、いやそんな算盤を弾かなくても、まぁ困っていたときの返答が宗教家として、人として、もなんか薄さを感じてしまった
という二つの事があり、あまり信頼していない。
と言って信頼していない人しかいないから孤独なのだろうと思うけど
仕方がないなぁ