本音の建前

僕は友人がいないからあまり深いレベルでそもそも人と話す事があまりない

 

たまにある込み入った話をするときに思うのが本音と建前について

 

僕自身がそもそも本音と建前を微妙に使い分け、使いまくっている

 

が人から話を聞いているのどうもこの人の本音は何やろうか。という冷めた目線で話を聞いていることが多い

 

この前脱サラしてコーヒー屋を始めた人の話を聞いていた

 

コーヒーを通じて世界を幸せにしたいと話していた

 

その動機はいいのだけれど、よくよく深く話を聞いていると、前の会社や組織人として生きることがただ出来なかったから代替案としてコーヒー屋を選んだのでは?と途中から感じるようになった

 

本音はわからないけれど

 

しかしそちらが本音の場合、コーヒー屋をやり続ける事もその人にとってはシンドイだろうし、組織人として働く事もシンドイだろう

 

つまり社会の中で生きる場所がないとなる

 

本音で生きてもいいけれど、本音で生きるには能力が必要で、両輪がないから建前が出てくるのかも知れないなぁ