競争から降りる事

僕は大原へんりさんという方に関心があり、好きだ

 

大原さんを知ったのは5年程度前。そこからふと本を読み直したり、ブログを読んだり、インタビューを見たりする。

 

どこか興味があり、そして通ずるところがあるのだろう

 

そして年齢や経験を重ねると大原さんの意見や人柄について思うことも変わってくる

 

最近本を読み直し、また改めての発見があった。

それは彼と僕の決定的な違いについてだ

 

二つあると思う

彼は競争自体から降りれているが、僕は降りれていない。

彼は攻撃的ではないが僕は攻撃的だ

 

この2つは大きく異なる。

 

という前置きは置いておき、思った事

 

彼の本の中に彼のポンコツエピソードが出てくるがその中に彼が居酒屋でアルバイトしている時に、バックヤードからビールを持ってきてと言われて1本だけ持ってきたそうだ

ホールの人はショーケースにビールがなくなったからケースごと持ってきて、という意味だったそうだけれどその行間が読めなかったようだ

 

この例は一つなのだろうが、そういったエピソードはその他結構出てくる

 

つまりあまり状況を読んだり意図を組んだりする事が出来ないのだろうと思う

 

加えて攻撃的ではないものの、結構頑固そうなので、そういったおっちょこちょいな部分をいじられ打ち解け親しまれ…という感じでも無さそう。つまり広い意味での社会性もあまり高くないようだ

 

つまり、業務遂行力も社会的スキルもあまり高くない。するとどうなるか。

やはり競争社会では勝てなくなる。

 

実際彼の経歴や歩んだ人生としては競争社会の中での勝ち側ではない。ある種実力通りの仕事をしていると言える

 

でこういった人は結構いるとは思うのだが、違いを感じるのはある種競争社会からは負けてはいるのだけれど、競争そのものに関心がないというか、降りてしまっていることだ

 

実際彼が世に出たキャッチフレーズは年収90万、東京生活、だけど幸せ。というもの。

 

実際慎ましい生活をされながらも幸せな生き方をしている。

 

僕も含めて多くの人と彼との違いはここで

 

競争に敗れている人は沢山いる

そしてその敗れた競争に嫌気がさしている人もいる

 

しかし主にお金と名誉、プライドを捨てられず彼ほど世の中やお金と距離を取り生きる事は出来ていない

 

名誉やプライドというものもたくさんあるが、正社員であることにこだわる事も名誉やプライドと言える。例えばだけど

 

その点から降りる事がそもそも彼は出来ているから違う

 

ある種の社会の中で生きる能力は足りないのだろうけれど(別の能力は長けていそうだが)

 

この競争から降りるというのは覚悟の問題だ。実際彼も年収60万で幸せに生きている。生きれないのではないのだ

 

もう一つの攻撃的でないという事も重要だ

 

彼は頑固そうだし、社会性は高い方ではないとは思うが、攻撃性はあまりないように思う

 

自分は自分人は人。という線引きはしっかりしている。攻撃的な人自分にだけベクトルが向かず人に向く。角田信朗とか。

 

彼の場合は他人を攻撃しない。

そこが彼が世に出た背景だと思う。

 

彼がもし彼の特徴と能力で世の中に対して不満げで攻撃的なだったら相手にされない

 

世捨て人だけれども、世の中に対して反発心のような攻撃性がないのためある種癒しがあるのだと思う

 

僕の話に引き寄せる

冒頭に書いた僕との違いの2点

競争から降りれていること

攻撃的でない事

は結構な違いであり、とても重要な点である

 

そしてそれは結構根幹的な僕の価値観なのであまり変えようがないとも思う

 

難しい