2019年の一つのエポックとして大阪の友人との関係が切れたことがあるだろう
彼はロンドンで出会った
趣味や感性が合い仲良くなった
ロンドンにいる間もたまに一緒に買い物に行ったり、帰国後も連絡をする仲だった
少し関係がおかしくなり始めたのは関係が深くなってから
大阪に出張をする事が多くなったため彼と直接会う事が増えた
その中でお互いを深く知っていく。その過程でおそらくお互い好きな所と嫌いな所が出てきたのだろう。少しずつギクシャクし始めた
決定的になったのは2019年夏に大阪に訪問した事。その際のやり取りの中でふともう会わなくていいかなと僕は思った
案の定向こうもそう思っていたのだろう、訪問の後に御礼のメールをしたがそれが帰ってこず、僕も完全に終わったなぁと思った
残念だなと思いながらも、どこか仕方がないなという気持ち
ふとこの経験について僕は思う
僕は彼には僕らしさを出していたと思う
僕らしさを出した上で関係性が無くなった
それはある種仕方がない事だ。僕らしくいて僕と関係を続けたくないと思うのであれば遅かれ早かれ関係は切れるだろうと思う
しかし一方で残念に思う事は僕らしくいてそれで関係が続く人がいない事だ
つまり僕の偽らない僕を知った上で関係を続けてくれる人が僕はこの世において存在しない
それはとても残念な事だ
そしてこの年齢までにそういった経験、僕が僕らしくいて大丈夫だという経験を持たなかったことは致命傷だと思う
僕は35歳でもう青年期でもない
人格が形成される前、最中にそういった人間関係の構築を経験できたか否かは非常に重要だ
彼との人間関係をうまく構築できなかった事は大きな失敗体験だろうなと思う