関係が切れるということと、死ぬ事

僕には小学生から大学まで関係が切れない友人がいた。

しかし大学ぐらいから少しずつ疎遠になり、社会人になりもっと疎遠になり、ある時関係が切れた。

よく考えると友人関係って感じでも無かったのかも知れない。

関係が切れたというよりも、切られたという感じかな

 

そこから数年が経ち、残念だけれど受け入れてきていてあまり気にならなくなってきた。

夢で出てくる時があるが、夢の中でもどこか関係は切れているというのはわかっている。

夢は支離滅裂だから急に小学生に戻るような事があるが、それでも完全に無いという事態は自分で理解をしている。

 

つまりもう会う事は無い関係なのだ

 

という事を前置きに思う

僕はもし彼が死んだら本当に悲しいのか?という問いだ。

何故ならば仮に彼が今死んでいたとしても、関係が切れているわけだから死んでいるかどうかすら僕はわからない。現に今死んでいる可能性もある。

もし本当に悲しいのならば死んでいるか生きているかわからない状態でも平気と言うのはおかしくないか?と自分で思うのだ

 

死んで欲しい、というのは違う。関係は絶っても幸せではいて欲しいとは思う。元々の友人だから不幸せになって欲しいとは思わない。

 

しかし彼が生きているか死んでいるかすら関係が無い世界の中で今生きているのに、では死んでいたら悲しいというのは本当の感情なのだろうか。

 

逆に考えても同じだ。

彼は僕が今生きているのか死んでいるのかすら知らない。死んで欲しいとは思っていないだろうけど、生きているのか死んでいるのかすら関心が無いのだ。

 

関係が切れるというのは死んでいてもどうでもいいという事だ。死んで欲しいわけではないが、死のうが生きようがどうでもいいのだ。

 

何となくそんな事を思った