前も書いたが何故かまた書きたくなったので
僕は断食道場に行き断食をするのが趣味でそこで同じ世代の男性に出会いゆる〜く繋がっている
友達とは言えないが知り合いよりも少し毛が生えたような感じ
たまたま新しい断食道場に行ってみるという事でその人と行きの道中一緒になった
僕らは指定された場所と時間に行った。
しかしいるはずの送迎タクシーが来ていない
僕は、まだ来ていないですね〜と一言
彼は、まぁ待っていれば来るんじゃ無いですか、と一言
僕は確かになぁと気にも留めなかった。
しかし数分待てどこない・あたりを歩いてもいない
僕は断食道場のオーナーに電話をした。
着いているけど送迎タクシーは着ていないと…するとオーナーから返事がありもう着いているとのこと
僕は電話を切りその人に伝えた
なんか着いているって言ってますよ〜
するとその人が
まぁ待っていればくるんじゃないですか?とまた同じ事を
僕はこの時少しイラッとした
指定された場所に来ていて、オーナーは送迎タクシーはもう着いていると言っている。どうして「待っていて」解決するのか?
僕は改めてオーナーに電話ある場所の詳細などを伝えた
…で結局のオチは、オーナーがタクシーと呼んでいたのは実は10人乗りぐらいのバスで、タクシーと言われていたのでそのバスが目に止まらなかったけれど近くにいた、という事だった
僕はこのエピソードをふと思い返す
何故ならばこういったところに既に人間関係が壊れるというか・めんどくさいところが潜んでいると思うからだ
その知り合いの彼はよく言えばのんびりしているのだろうけれど、悪く言えば問題解決能力が無い、または状況判断能力が無いとも言え、何か判断が必要なときに彼がいると、または上司だととても疲れると思う
次の登場人物のオーナーも、タクシータクシーと呼んでいたものは少なくとも僕ら二人は見つけられなかったわけだ
それをバスと呼ぶか、もっと特定しやすいように白いワンボックスタイプの10人乗りの車、と呼ぶか、何にせよミスリードしてしまったので改善をした方がいいとは思う
今回の状況を作り出したのはそれをタクシーと呼んでいた事にあるから
しかし一期一会でこのオーナーにはもう会わないだろうし、加えてオーナーにとって僕は客なのでむげにはしないだろうが、この人が会社の同僚や上司だったらどうかと考える
このタクシーの件もなんか仕事が出来ないような空気感を感じてしまう
僕は多分上記2つの状況を寛容に受け止められない
断食仲間の彼には待っていても何も解決せんだろという腹ただしさがあるし、オーナーにはタクシーと呼ぶ事でお互いが見つけられないという想像力の無さにも腹ただしさを感じてしまう
しかしここで第三の登場人物、僕はどうだろうか
そんなこと?で怒る人とはまぁ付き合いたいとは思わないだろう(実際その2人に怒ったわけでは無いが…)
だから孤独なのだと思うけど、一方怒りがなく寛容にもなれず…という感じだなと思う