ふと夢の中で気づいた事、メモ
お金というのは、簡単に言えば人を奴隷にする事が出来る道具だ。
仕事とは商売で需要と供給がある。
供給者は需要の奴隷である。
レストランにいく、供給側のレストランは需要のお客が上であり、満足させないといけない。
いらっしゃいませと、笑顔で頭を下げるのは、お金を落として欲しいからであり、そしてまたきて欲しいからである。
それは既に対等な関係ではなく、上下だ。
そしてそれはお客とレストランの関係性だけでは無い。レストランの中、社内でも上下や支配非支配関係が起きている。
レストランにはマネージャー(管理者)がいる。その下に従業員がいる。従業員はマネージャーのいう指示を聞く。何故聞くのか。とどのつまりは金が欲しいからとなる。
つまり
お客(金の元1)>上司(金の元2)<従業員
という順序で支配階層がある。
思想で人にいう事を聞かせるというのはかなり難しいのに、お金を元にいう事を聞かせるのは容易い。
以前職場で仕事のために4時に出社していた。
自主的に。それは仕事のためになのだが、それは表面的で、深いところでは金のためだった。
人を4時にどこかに行かせる事など普通は出来ない。これも金の力だ。よく考えると。
従業員など、金の完全な奴隷だ。もしそうで無いというならば金を貰わなくともそれをするか?という問いにイエスのはず。それをする動機が全て金であるとは言わないが、金がなければそれはしないという事だろう。
もし今から俺に、笑顔で頭を下げて、と言われたら多くの人は侮辱されていると感じるだろう。
しかし多くの人が会社やお客にはしている。何故するのか。やはり突き詰めると金に支配をされているのだと思う。
この問題は大きいな