お金を貰うということで発生するプロ意識

以前ある坊さんにカウンセリングをお願いした事がある

 

ある特定領域に詳しいためカウンセリングというか、話を聞いてみたいと思っていた

 

ちなみにその人は著作の中で、仕事の一つがカウンセリングとあった。よってカウンセラーでもあるわけだ

 

僕からは謝礼金は払うと提示した、その上で時間を確保してほしいと。

 

しかしそれは要らないと言われた、理由は不明だが僧侶としての、出家者として考えがあってこそだろうか

 

しかしこの金を受け取らないという事が微妙にその後の対応に疑問が残る

 

まず態度が能動的で無かった。少し悪く言えば渋々感が伝わってくる

 

そして甘えだとは思うが、一言で言えばどうでもいい感が伝わってくる

 

こちらはある特定領域で悩んでいるわけで、それについて救いを求めていた

 

しかし何とか救おうという感覚が感じられない、ただ聞かれた事に答えている感じ

 

ここで難しいのは金を払っていないこと、その人は僕から金を受け取っていないこと

 

金を介せばある種ビジネス、問題解決する代わりにお金を出す。

 

問題解決されなければ次は無いし、お金も次からは払わない

 

されれば払うし関係は続く

 

しかしお金を払っていないので不満を持つ事も出来ないし、スタンスについて何か求めることも出来ない

 

向こうもお金を貰っていないので真剣に取り合う必要もないが、その姿勢を責められる義理もない

 

よく考えればこのお金という共通の価値観の中で生きていればお金を使って人を使う、悪く言えば人を飼う事ができる、支配する事ができる

 

何となくまだ言葉に仕切れないけどふと考えてしまう