僕の中で成功体験と挫折に英語の学習というものがある
僕はプライドが高いため勉強が出来るようになりたかった
勉強が出来る環境も親から与えて貰ったし、本人としてはかなり時間をかけたが、結局は出来るようにはならなかった
その中でも英語の勉強にはかなり時間を割いた
しかし結局は出来るようにはならなかった
単語帳ではほぼその言語が何かは答えられるようにはしたが偏差値は30だった。
おそらく理解力とか読解力が極めて低いのだと思う
それは青春期の大きな挫折であり、自分は頭がおかしいのではないかと本気で悩んだ。当時
今振り返るとプライドがズタズタになる良い経験だったが、心の底にやっても無駄なことがあるという深い思い込みも植え付けたように思う
しかしその後の大学時代に4ヶ月だが留学をする事になった
ロンドンに行ったのだがそこでは英語の勉強というよりもホストファミリーのおばあちゃんと毎日生活するなかでどんどん英語が理解出来るようになった
ツライとかも思わず楽しかった
僕は少し頭が悪いんじゃないのかもしれないと自信が回復した
4ヶ月はほぼ英語オンリーで生活していた。耳が慣れてきた。毎日毎日英語を学んだ
自信が少し回復して、日本に帰った、また留学に行きたいなと思っていた
忘れないようにと早速トイックの試験を受けてみた
結果は250点だった
僕はその時から英語に向かうモチベーションが根本から無くなってしまった
やはり僕は普通ではないのではないかと思ってしまった。これだけやって250点ならば僕は400点を取るのに何年かかるだろうか。
その時間と労力を考えるとやる気を失った
しかしその話をある人にした時に
猛勉強をしても普通の人よりもできないというのが等身大なのであれば、それをそのまま受け入れれば自己嫌悪にはならない。
自分はこれだけやったのだから普通ぐらいの成績は取れるだろうというプライドが自己嫌悪を作り出している
事実はそれだけやってもできないということなのだからそれを受容すればよい
と言われた
僕は何となくある普通という基準が高いのかも知れない。自分に対しての