仏教を学んでいた時にその場に通う坐禅仲間の女性がいた

 

当時仏教のことを知らなかった僕ははじめその人の持つ仏教的な知識に驚いた

 

ただそれも僕側が無知だったということがあるけど

 

その女性が最近ブログで悩みの種を公にしているのだが、つまりは彼氏に振られたということらしい。

勿論彼氏に振られたということ以外の苦の要素はあるだろうけども

 

僕はそれを見ながら思う

つまり人の悩みは人からするとどうでもいいというか、悩みによるけど…よくあることというか…そんなことで…というか、まぁそんなものだ

 

彼女にとってはそれが大きな出来事かも知れないが、他人にとってはどうでもいいことである

 

もしそれが彼女にとっての苦しみの出発点で仏道を学習されていたとすると、何となくその得た仏教知識自体も薄さを感じてしまう

 

ブログで心情吐露をすればするほど薄さを感じてしまう