なんかAIのことを話している講話を聞いたときにふと思った事がある
情報は多くなればなるほどその事柄やその人の輪郭がハッキリしてくる
この話を聞きながら始めに思い浮かんだこと、僕が仏教を学んでいるときに出会う人がはじめは興味深いのだけれども話せば話すほど黒さのようなものが目について嫌になった
特に仏教を通じての知り合いだからなんかやるせなさを感じた
しかしこれもその人への情報が増えるからだろう。当初知らなかった一面を知り、輪郭がハッキリしてくるからだろう
本質を知ったら好きでは無かった
ただそれだけではないだろうか
しかしそれは他人に目を向けている間はいいけれど、ふと考えるとそれと同じ目線を他人から向けられているんだろうなと思うと僕の現実に対して残念に思う