能力が無いとは残酷な事だ

ふと目が覚めて思い出したことを

 

前職に色んな意味で能力が足りない50歳ぐらいのおばちゃんがいた。独身の。

 

能力とは大きく分け2つあり、職務を遂行する力と人間関係を構築する力だ。つまりこの2つとも欠けていたように思う。

 

その方は新卒で入り勤めて25年?とか、そんなベテラン。

 

しかしやっている仕事はこの仕事は本当に必要なのだろうか。と思うような付加価値があるのか無いのかよくわからない仕事だった。

というか無かった

 

その人は性格的にもキツいので、会社からも腫れ物に扱うような接し方をされていたように思う。実力主義を謳う会社だったのでプレッシャーをかければかけられるものだが、追い込むと何をするかわからないという事もあったのだろうか、生かさず殺さずという妙な立ち位置でその人に接していたように思う

 

その人は年の功でかなりいい生活をしていたし、組織からもプレッシャーもなく、悠々自適な仕事をアサインされているから前提は慈悲の気持ちは湧かなかったが、もしかすると一番孤独でそして可哀想な人なのかも知れないとふと思う

 

本人は気づいているかどうかはわからないけれど、必要とされていない組織に属しているというのは。

 

感受性があれば理解できるが今後更に大変になっていくだろう

 

しかしあの歳になって更に能力を伸ばす、変えるというのはもう無理だろう。組織に更にしがみつくしか無い。子猿が母猿に必死にしがみついているように。

 

本当は無い能力の中でもできる仕事について、その中で貰える収入で暮らしていけば整合性が取れているのだが、今は完全に非整合が起こってしまっている

 

多分人生の何処かの部分で帳尻を合わせないといけなくなるだろうか、または逃げ切っても結局は精神的には落ち着かないだろう

 

僕は一緒に働いているときは呑気で恵まれた人生だなと思っていたけれど、ふと考えると恵まれてしまったが故にその後起こる実力からの落差は大きいだろうな

 

落差はより不幸を感じるだろうから苦しいだろうとは思う

 

まぁ僕も同じ事が言えそうだ