昨日の夜はふとこんな事を思い出した。夢で
そこからふと考えていた
小学生の頃学校からの宿題で家族の仕事の事を聞いてくる?というような宿題が出された
僕はおじいちゃんに聞きにいった
おじいちゃんはその時はすでに定年隠居していたけれど昔は電電公社、つまりNTTに勤めていた
立場はどうかわからないが、偉い立場ではなかったようだった。しかし大企業だな。今から考えると
でおじいちゃんになんの仕事をしていたのかを尋ねたのだが
その仕事って必要なのか?
と思い結局学校ではおじいちゃんが何をしていたかとかは話さなかった。
そんな思い出がある
その時のなんの仕事かの詳細はわからない。子供だからわからなかっただけかもしれない。
ただその時の記憶としては、例えて言えば駅の切符を切る人を今の常識ではそんな仕事あったんだなぁと思う感覚だろうか。それに近い感覚
という思い出があるのだが、そこからふと考えた
つまり仕事の価値なども諸行無常で常に移り変わっていて当時は必要とされた仕事も、価値があるとされた事も、時代が変わりテクノロジーが発達すると価値を失う
そんな事ザラにある
もしかするとそのおじいちゃんのやっていた仕事は当時すごく重要だったのかもしれないし、またはその中で周囲から必要とされたり、評価されていたのかもしれない
しかしそんなものは砂の城で、価値があるというのも何も実態はない
結局それに価値があると思い込んでいるだけであろう
僕はこういった冷めた目線というのは人生を楽しくさせているのか、それとも虚しさを生み出しているのかわからない
価値があるんだと信じている方が主観的には幸福度が高いだろう。しかしそれはただ無知なだけだとも言えて
僕はふと考えてしまう
おじいちゃんのしていた仕事は考える例題だけど