僕は仏教に関心があるため仏教を勉強している
趣味程度で
しかしどこか特定の宗派や教団に入り、特定の教祖を崇めているわけでもなく、仏教徒でもない
ただ勉強していくと、セミナーなんかに出たりする事もあるので特定の宗派の教えを信仰している所謂信者の方に出会う事がある
信者のレベルにまでなるとやはり普通の人とは違って本気度が高い
そのため仏教知識に詳しかったり、熱量を感じたりする。それは畏敬の念にもつながる
しかし少し付き合いが深くなってくると、少しずつ違和感を感じるのが毎度のパターン
何が違和感かというと、盲信からの論理矛盾、またはその教え以外の論述に対して排他的なところだ
僕は何か絶対者的なものを信じていく事に抵抗があるため、そうゆう盲目的な雰囲気を感じると少しずつ距離を置く事にしている
そしてそうゆう事が多くなると何故教団というものがあり、そこに信者として入る人がいるのかと疑問に思う事が多くなった
しかしふと朝思った
正しいかどうかではなく、それが存在していて、何か人々の苦しみを和らげる効果があるのであればそれが存在意義で答えなのではないだろうかと
例えば輪廻転生がある、かないか、という事の突き詰めよりも、それを信じている事によってその時幾ばくか心が楽になるのであれば信じる方をとってもいい
正しいか根拠があるかなどはどうでもいいのだ
ある教団というコミュニティの中で共通した価値基準や崇める対象がある中でそこに所属していれば心が落ち着くとするのであればその人にとっての居場所だ
たとえそこに金が発生したとしてもそれはビジネスであり、おかしなことではないだろう
ディズニーランドと同じようなものではないかとふと思った