勉強が出来るようにならなかったという事

僕は小さい頃からプライドが高かった

 

理由はわからない。元来だろう

 

なのでおそらく皆がチャレンジするような勉強という種目に対し、僕は勝ちたい。と思っていた

 

おそらく4年生ぐらいからは結構勉強していたと思う

 

父も教えてくれた。

少し嫌味を言えば、父も社会的ステイタスとかを気にするタイプだから、結構勉強させたがったと思っている。それも嫌だった

 

しかし僕は勉強している割には全く出来るようにはならなかった

 

周囲には勉強が出来る子ばかりだったから余計にコンプレックスを感じた

 

やってもやってもできるようにはならない

できるようにならないから面白くも感じない

 

しかしプライドが高く勝ちたい

 

そんな狭間で苦しんでいたように思う

 

で結局できるようにはならず、どの程度出来なかったかと言えば2年浪人させて貰い…偏差値30の大学にいく。という結果だった

 

且偏差値だけではなく、単純に全くやりたいとも思っていないこと。確か英語科とか?大学の学問で学ぶ類では無いようなものだったと思う

 

軸もないし、能力もない

 

それが自分なのだと心底嫌になった

 

ここで嫌になるのは僕はたぶん勉強を結構していたからだ。全くしていなかったのであればわかるが勉強はしていたと思う。勉強していたし、するチャンスもあったし、与えられていたけれど結局できるようにならなかった

 

それが悔しいのだ

 

例えば僕が日本大学とか、いわゆる普通というレベルの大学であってもがんばった結果行けたのであれば少し自信になったのかもしれない

 

頑張れば報われるとか思えたかも、と実感を持って思えたかも知れない

 

しかしそれを実感として持たなかった

 

サッカーも同じだ

才能もあったと思うが、これも出来るようにならなかった

最後の方は何をすればいいのか、もわからなくなっていった

楽しいという気持ちは全く無くなっていた

 

今考えると人生の縮図として、同じ事を繰り返しているようだ

 

そしてこれからも繰り返すように思う

 

全てはプライドの高さということに行き着く