度々こういったことは書いているように思うが何か書きたくなる
僕はある程度年齢がいった人はその人の言っている事よりもやっている事。もう少し詰め込んで言えばやってきた事を見た方がその人の事がわかるのではないかと思うところがある
つまり言葉ってのは一旦自身の頭を通るから見栄のような虚栄心とか、理想像から相手を意識して話してしまうんだけれど、選択した過去というのは事実なのでその人の本音の部分が出ているように思うのだ
行動も虚栄心から行われたものであるという事もあるのだけれど、虚栄心が行動にまで移させるのはその人らしさでもあって、言葉よりも僕は本質であり、重さがあると思う
加えて太極的に見ることも重要だと思う
小さな意思決定や選択ではなくて、大きな流れのようなもの
それも能力的な意思決定ではなく、スタンスやスピリット的なもの
どちらかを切り離して考えることは現実は出来ないものの、何を元にそれを決めた人生なのか。そこに原点のようなものがあると思う
原点はなかなか変えられない。殆ど先天的なものではないか。
知りたいのは原点であり、その後身につけた後天的な言葉のテクニックはあまり意味がない
つまり選んだものがその人なのだ