事実

昼寝をしてふと思った事を書いておく

 

前職で嫌われているおばさんがいた。

おばさんはまずワガママであり、加えて承認欲求が強い。しかし楽をしようとする。めんどくさい事をしたくない。責任は負いたくないけれど、認めてもらえるような仕事がしたい。

気分や感情によっての波が大きく、テンションの高い時と不愉快な時の落差が大きい。

実力はなく、何も出来ない。

 

そんな感じの人だった。

 

そして思う。広い意味では同じだなと。

僕と要素が似ている気がする。

 

僕はこの人を客観的に見ている。だからもしこの人が前の職場を癇癪を起こして辞めて、次の職場に行くとしてもうまくやれないだろう

 

それはうまくやる能力も人間性も育っていないからだ

 

たまたま環境的に利他的な人が次の職場にいてそのおばさんに合わせてくれる事があるとすれば可能性は無くはない

 

しかしそれはギャンブルだ。

もしくはそのおばさんは誰とも接点を持たずに黙々とやるような仕事をするしか無いだろう

 

つまり人を通じて何かをするという事に今の能力の人間性では適正がない

 

しかしそれをおばさんに告げても激しく防衛するだろう。受け入れる事が出来ないと思う

 

本人なりに努力している事もあるだろうし。

しかし事実というのはその周りの人々が決めてしまうもの。周りがその人に対して評価するとすると残念ながらそういった評価にならざるを得ない。

 

引いてみると僕の今の状況はまさにこのおばさんの状況と似ている

 

小池さんからのアドバイスは、変わるか変わらないか。だった。

このおばさんに当てはめて考えると変わらないという事であれば、このおばさんのできる事をするしかないだろうと思う。

 

変わるという事であれば、そんな現在の自分を受け入れて変容していくしかない。

 

すごくシンプルに捉えると2つしかない。

 

変わらなくても居場所があるんじゃないか。

というのは実は幻想なのかも知れない。

 

しかしそこに賭けてみたいという気持ちもある

 

自分のことながらよくわからなくなるよな