例えば目の前に会った人がとある宗教を信奉していたとする、または宗教家という立場だとする
その宗教がどんな考えや教えなのかは兎も角、何か期待しないだろうか?
例えばこんな期待だ。
優しくて思いやりのある人
利他的な人
自己犠牲的な人
どの宗派の宗教も大なり小なり倫理や道徳的な考えを持っているような先入観はあるから、このようなイメージを持つのではないだろうか。
勿論、別のネガティブなイメージも持つ人もいる。例えば
・危ない洗脳
・勧誘がしつこそう
・頑固そう
・話が通じなさそう
こんな感じだ
こういったネガティブサイドの先入観の場合、それが払拭されると信頼をされる。
しかし前述したようなポジティブな思い込みはその思い込み以下だと失望に変わる。
特に思いやりがある、とかそういった類のものは基準も無い。そしてほとんど相対的に見て思いやりのある行動を取っていても、ある一つの行動に思いやりを欠くものがあればそれについて指摘をされたりもする
つまり宗教家は清廉潔白を求められてしまうのだ。
俺の今回の怒りの発端はここにあるかも知れない。NPO法人で社会問題を扱う人は宗教家に近いマインドなのではないか。
困っている人を助けてくれるのではないか
という思い込み、そして勝手な期待だ
それが得られなかったから俺は不満に思った。
店が混んでいるからという理由で相談時間を減らされたのは俺の目線からすれば真剣に向き合ってもらっていない、軽視された気分になる。
それは過度な期待なのだ。あくまで彼はただの人間なのだ