センス(感性)とスキル(技術)について考える時、俺の中で興味深い題材がある。
それは落語だ。
センスとスキルを分けて考えるとわかり易い一方、現実的には二つを綺麗に分けることなどできないし、分けた事による弊害もある。
という前置きから
俺は落語についてあまり良い印象がない。
何故ならば、伝統組織であり、アーティストでは無いからだ。そんな思いもありつつ落語を取り上げる
落語の話の内容は落語家が考えたものではなく、伝統的に『ウケたモノ』を伝承していく。つまり使い回しのネタだ。
または新作のネタも作家が考え、それを落語家が話す。
この場合、センスと技術の話で分けるとすれば、落語家はセンスは無く、話す技術がある。という事になる。
これは一部、または半分ぐらいは当たっている。つまり面白い話をゼロからイチを作るセンスは多くの落語家には無いのだ。
しかし疑問が残る。では話す練習をすれば誰でもある程度面白く話せるようになるのか。
そんな事はない。
少しは上達するだろう。しかし面白く話せるかどうかはセンスだ。
間の取り方、タイミング、声のトーン、表情、それらを駆使しながら話す。それが面白くなるのだ。
内容だけではない。同じ内容でも面白く感じる人とそうでない人がいる。
とすれば落語家は面白く話す事が出来るセンスを持っていて、その技術をより磨いた。という事だ。
だからセンスと一括りにしてしまえるのではなく、何のセンスがあるのか、無いのかを細かく見ていかないといけない。
落語家をフリートークの場に読んでも何も話せない
何か台本が無ければ力は発揮出来ないのだ。
しかしある程度話す内容が確定しているならば、その場を盛り上げる事は出来るかもしれない
センスという言葉は広い。
あの人はセンスがある人だ。という言葉をもっとシャープにしていくと、何のセンスはある人なのか、という考察が必要だ。
そう考えると世の中の仕事や登場人物の役割とか、なんか見えてくるものがある。
それは少し面白くもある。