皮肉なのか

ある本を読んでいて思う

 

「現代の若者の問題、ニートやひきこもり、フリーター」

 

以前はあまり気にも留めなかったが、もうすぐここに近くなる可能性があるためか、ふと感じる

 

この著者は

ニート、ひきこもり、フリーターを問題だという価値観を持った人なのだなぁと。そしてその物差しの上でこの本は書かれているのだなと

 

まずニート、ひきこもり、フリーターは全て異なるが、この人の中ではすべて一緒にされている

 

この文から読み取れるこの人にとっての問題無い人とは「正社員で職を得ている人」という事だろうか

 

この人の経歴を見ると東大のインド哲学科を出ている学者でインテリ

 

しかし正社員で職を得ていない人が問題だ。と捉えてしまっているところから見ると哲学者(自分の思考で物事を深く考察できる人)ではないとは思う

 

仏教も本当にその思想を実践するのであれば、ニートやひきこもりにならざる得ないわけだし

 

つまり生活形式ではその人の価値は測れないでしょうと僕は思う

 

その人が人の人生の道標を書いた十牛図という本を解説しても、何が正しいかというその人の前提がある中で訳されたものなので読む気は起こらないとふと思う