坐禅は自己満足か

ふと思った事を

 

僕は仏教に関心があり、それなりにではあるが勉強している。

理屈だけではなく、坐禅も2年ほどやってみた

効果は全くわからなかったけれど

 

その中で同じく仏教について関心がある中年の女性に出会った

 

始め会ったときは、坐禅を通じてのスピリチュアル体験?神秘体験のようなものを教えてもらい圧倒された

 

その人はあまり理屈で考えるような人ではないので仏教知識はあまりわかっていなさそうだったけれど、当然何も知らない人よりは知っていた

 

僕は家で1人でいる時も坐禅を組むというその人に畏敬の念を抱いていた

 

しかし当時は僕自身が仏教というものについて無知過ぎたのでその人は凄い人だと錯覚していたが、ふと最近坐禅を組む事、またそれを通じてスピリチュアル体験や神秘体験が出来ることは尊いことなのか?と疑問に思う事がある

 

その人はよく坐禅を組むと宇宙と繋がり…とかスピリチュアル系の人がよく使う言葉を使う。

そしてそれによって平和を望み、相手を思いやり…などともいう

 

それはいい効果なのだと思う

 

しかしそれは学んだ事や得た事を実社会に活かして生きているのであればの話

実社会の生き様に反映していないのであればそういった体験をしていても何も意味が無いのではないだろうか

 

なんか書いてて途中でめんどくさくなったのでやめよう