具体と抽象

昨日障害者19名を殺害した事件の番組を見ていて思った

 

ふと

 

犯人は生産能力の無い人は害だ。社会から淘汰されるべき

 

という思想があるようだ

 

勿論だから殺していいという理屈にはならないが、抽象度を上げると社会も同じようなロジックで動いているんじゃないだろうかとふと思う

 

一般企業でも自然淘汰はある。

生産できない人が会社に居てもらうと会社側もそのサービスなら受ける顧客側も困るからだ。

 

そこの合理性を否定はやはりできない

 

つまり色々な意味で能力が低い人は要らない

 

という考えは通常の社会生活を営む上で実は当たり前としている考え方ではないだろうか

 

犯人の主張は抽象レベルを上げれば一般社会の持つ価値観と変わりがないように思うところがある

 

しかしだからといって殺していい理屈には全くならない。

 

あと僕はどう思うのだろうか。

僕は身近に障害者がいない。

だからリアリティを持ってその生活が理解できていない。

 

ただ生産能力だけが人の価値ではないという事は理解できる。

例えばお母さんはもう社会で働いていない。

でも僕にとってかけがえがない。

 

それは生産能力とかの話ではない

 

価値とは何か。ふと考えてしまうな