印象に残る表現をされる方がいたので書き留めておこう
人にも太陽タイプと月タイプがいて、つまり太陽タイプというのは自分で光と熱を発しられる人で、月タイプというのはその太陽の光を受けて輝くタイプ
という意味
ある老夫婦がいて、その旦那さんは太陽タイプで奥さんが月タイプだったそうな
奥さんは長年太陽タイプの旦那さんについて行き農業や料理を楽しんで起なっていたようだ、少なくとも周囲にはそう見えた
しかし旦那さんが亡くなり、農業も料理もパッタリ辞めてしまった
その姿を見ると農業も料理も心の本当の部分では好きではなかったのかもしれない
どちらも誰か食べてくれる人がいる、喜んでくれる人がいる、という条件が整って好きだと思えていたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。あくまでも想像の域を超えないのだが
その方の考察では、その奥さんは月タイプで太陽がいれば輝くが、自分から熱や光を発することが出来ないと、または元々は発することはできたかも知れないけれど長年の積み重ね、月に徹していたことで、自分が何がしたいのかわからなくなったと
僕はこの考察はとてもピンときて、僕も太陽でありたいという願望がある一方で、多分月なんだと思う
だから底辺のサラリーマンがウダウダ出来るわけだし
太陽だったら自分で何かやるだろうと思う
自分のしてきた事を振り返っても全て受け身というか流されて世間の常識的から外れないように生きてきただけのように思う
それが僕だろうな