戸の言ってた事でふと気になった事が
人間の両面性についてだろう、人の命について
体罰し、業務上過失で死んでしまった場合人は可愛そうと大騒ぎする
しかし電車に飛び込んで自殺した人をし、その影響で自分が待たされた場合多くの人が迷惑に感じ、その自殺した人、または事故でも、労わり慈しむということはないのではないか。
むしろイラつき、ムカつき、不満を持つ
その背景には自分にとって直接的な不利益があるかないかだろう
テレビでそのニュースが放映されていたら慈しみの気持ちは少しはあるかもしれない
それも自分に直接不利益をもたらしていないからだろう
全ての人間がそうだと勿論言わないが、その光景は何となく想像できる
戸が言いたいのは、だから人の命を大切に的な表面的な綺麗事言うな。どうせ関心ないクセに。と言うことだろうか
ふと考えると、論理として自分はどちらなのかという軸足がどちらにあるのかが僕を含めた多くの人がハッキリしていないのだと思う
ケースや状況によってコロコロ変わり、実は本質がわかっていない、または流されている
体罰が度が過ぎて死んでしまったケースと原因は不明だが電車に飛び込み人が死んだケースと、全く事象は異なるようで、深く考えると同じのような…
少なくとも戸はガシッと自分の立ち位置はハッキリさせている。
よく言えばだからブレる事はないし、だからが故一定の支持者がいる
悪く言えば全く柔軟性がないし、人の話を聞く受容性がない。
ただどうゆう立ち位置かを綺麗事なしにポジションを取っているのは参考にはなる