体罰の

昨日の夜は憂鬱にならずに寝れた。土曜の夜だからか?まぁいいや

 

昨日考えていたこと

 

昨日はユーチューブを見ていたらふと体罰の戸塚●の動画が目に留まり、そこから戸に関係する動画にハマり、ネット情報にハマり、1日を過ごした

 

元々戸は知っていて動画も見入ってしまったことは何度かある

 

その時の印象は顔がイッテしまっている…という感じ。怨念、憎悪、なんかわからんがともかくおかしい顔をしているという感じで見入っていた、あとは怖いという感じ

 

また今は体罰をしている動画自体が削除されていてないのだが、前見た時にはまだあってそれはビンタするとかそのレベルではなくて膝蹴りとか棒で殴る、顔面殴る、とかそんな感じだった。

そのため世間や番組の立ち位置と同じ目線で批判的に戸を見ていた

 

その気持ちは前提にありながらも、今回戸の色々な動画を何度見て少し違った見方をしている自分がいた

 

一つは人の成長とは何が本質的な要因かという事

 

もう一つは普通の人というと失礼だが、通常の社会生活を送れていないような人を、普通の基準で立ち直らせるためには理屈や説得では通用しないのではないかと思うこと

 

また特にそういった普通の社会生活を送れず、色々な人から見放されてきたような人にそもそも関わり、方法論はともかく何とかしようとしているのは骨が折れるというかほとんどの人はそこまで介入しないわけで、それをしている事は凄い事であると思う

 

戸の主張の強引さや体罰の程度の強さ、あとは根っこにある私的な怨念的なものが動画を観ていて不快感を感じさせるのではあるのだが、そういったものを排除して、話している事のコアな部分を観察していると、戸の主張や行動に賛同できないかと言えば考え込んでしまう

 

色々書こうかと思ったが疲れたから一旦終わり