昨日ふと投げやりではなく、楽観的な
まぁいいか
という気持ちになり、パチンコ、風俗、好きなだけ食べるという事をした
普段はしない
なぜしないか
これらがあまり楽しいと思えない自分がいるからだ
多分頭で考えてしまうんだろうな
しかし昨日はそれらをしている自分を冷めた目で見る自分がおらず、あまり何も考えずにしていた
そこでふと思う
これらの事はまぁ徳の高い事ではないし、冷めた目で見たら虚しい
それらを虚しいと冷めて見ず、まぁそんな日もあるんやないやろうか
と何も反応せず入れる方がむしろ健全な心とも言えるのではないだろうか。
少なくとも昨日パチンコに金が吸い込まれているのをみながら何か落ち込む気持ちや嫌な事を思い出すという事もなかった
心は気分によるものだろうけれど
仏教を学び、突き詰めた先に幸せがあると思いながら勉強している自分と
ふと世俗的な欲望を一時的に満たす事でその時の一時的な快楽を楽しめている自分と
心はどちらが健全なのだろか。
理屈をこねくり回して鬱々としてるよりも、普段の生活をそこそこ何も考えずに過ごせている方がいいのかもしれないなと
そんな事を思ってしまった