ふと昨日思った事を
イギリスのことわざにあるようだが、馬を水辺にまで連れて行くことは出来るが水を飲むかどうかまでは決められない
そんなようなもの
意味としては周りがその人に色々言ってもやっても本人にその気がなければ変わらない。というようなもの
ふと、人は実は内面で描いているなりたいと思っている自分になっているんじゃないかなと
どれだけいい事を言っても、振舞っても、誰も見ていない時に何をするかまでは変えられない。
または誰かが見ていて、努力しているように思えても、本質的な努力はしていないかもしれない。
つまり結局周りからの強制で一時的に何かを取り組んでもそうでないと膨大な自分と向き合う時間の中で妥協していたら得られるものは少ない
つまりは誰も見ていない、自分しか知らない中で何をするかは自分しか決められない
その見ていない時間に自分は作られていくわけだからやはり嘘はつけないということになるだろう
内心描いているなりたい姿が結局のところその人のなりたかった姿なんしゃないかと思う