虐待の記事を目にして、そこから考え込んだ。
※まず虐待は完全に馬鹿だ。何も肯定しない。
それは前提として。
父親が壮絶な虐待の末に実の娘を殺してしまったという事件。その中でこんな事が書いてあった。母親の証言として
『娘は真面目で正しさにこだわる性格だったから、父親と性格的に合わなかった』
こんな一文。
繰り返すが、虐待は問題外。それは前提に置いておき
自分の事に当てはまると、俺もこうゆう人はすごく苦手だ。
正しさを押し付けてきたり指摘してくると嫌だなと思ってしまうところがある。
この文を書きながら一つ思い出した事がある。
新入社員研修で大きなホテルに宿泊していた時。研修中の決まりが会社から提示され、その一つにホテルにいる時は浴衣でウロウロするなというものがあった。
まぁ研修中だからパジャマ姿でうろつくなよという意味だろう。しっかりは覚えていないが
で俺がホテル内の大浴場に行って、部屋に戻る時、同期の女から指摘を受けた。その時は浴衣姿ではなかったが、足はスリッパだったから、何故スリッパなのか、ダメだろうと。
俺の意見はこうだ。研修でホテルに泊まっているわけだから靴は革靴しかない。自分の部屋から大浴場へ行く時にスーツを着ていかないとあかんのか?
というものだ。しかしこの時は一旦この女が正しいのだ。
他の人はスーツ姿で大浴場へ行ってたのか?覚えていないが
俺は思った。それが柔軟性だろうと。状況として部屋から大浴場に行くのになんでスーツに革靴で行かないといけないのだろうか。例えそれが課せられたルールから逸脱していても、それはルール側がおかしいので別にいいではないのか。勿論その他の時にパジャマでウロウロしてはダメだろう。しかし部屋から大浴場へ行く間の話なのだ。
疲れてきた。つまり俺はこういった人が近くにいると合わない