比較をしてしまう事

人は僕も含め、何かしら比較をしていると思う

 

比較をする物差しは違いはあれど、共通する部分も多いのではないだろうか

 

日々何かしらの優劣や好みを物差しにして選択をし続ける

 

ある意味選ばれた方は勝者として残り、選ばれなかった方は敗者として売れ残る

 

それは自然の摂理であり、動物の本能でもあるように思う

 

よっていつもこの問いを考えると摂理なんじゃないかで自己完結してしまう

 

しかしその当たり前のようなシステムそのものに人の心という観点や、幸福や、愛というもの失わせる側面があるのではないだろうか、とも思う

 

思考回路としては優劣をつけ優を選び続けてきたのにも関わらず、ある時には劣に慈悲を持つというのは論理的に矛盾している

 

劣には愛など無くていい

それならば論理的に正しそう

 

だが、その世界はシステム的に幸福なのだろうか

 

何となく答えは出ないが問いはある