ふと思ったことを
今本格的に仏道の学習をしている
動機は苦しさからだろう
仏道を学ぶ中で出てきた
苦しすぎても、楽しすぎても、仏道を志そうとは思わないと
苦しすぎというのは生存欲求が脅かされているとして…
僕は今苦しいのだろう。
もしいい感じにうまくいったいたらここまで救いは求めていないだろうと思う。
ここまで真剣に、関心を持って仏道を勉強したいって思わなかっただろう
そうゆう意味では仏道という道を今の状況は歩ませている
今楽であれば多分そこまでの欲求が起こらない
僕が真剣に仏道に救いがあると思わせるところまで来たのは今の状況があるおかげだ