覚えていないが、それほど憂鬱ではない夢だった。
なんの夢を見たのかはわからない。しかし起きた時少し晴れやかだった。
起きた時一つインスピレーションが沸いた。
インスピレーションというか、考えた事
自分を愛するという事について、言葉に当てはまるからわからなくなるのか、ひとそれぞれ色々いうから本質がわからなくなるのか、すごく重要な問いなのに未だによくわからない。
あるヨガの先生にこの問いについて聞いたら2つ答えが返ってきた。
一つはそもそも自分を愛する事ができる理由があなたにあるのですか?というもの。
それはヨガという視点に立った時、ヤマ・ニヤマという、やってはいけないこと、積極的にやることというものがあって、
例えば動物を殺して(殺させて)食べてはいけないとか、嘘を言わないとか、そうゆう戒律・禁止がヤマ。
利他をするとか、布施をするとか、それがニヤマ。なのだけど、そうゆうヤマのような禁止事項をし、暴力的な自分や、ニヤマのような事をせず自分の快楽に耽っている自分を、そもそもどうして愛せるのか?
という理屈。愛せる価値がないでしょう。というもの。
自分自身は自分を愛す価値があるかないか、この問いはよくあるのだが、条件付き無条件というもの。しかし流石はというかヨガの先生だからそれは能力的なものではなく、あくまでスタンスによってやるやらはいが本人によって決められる事にある。
勿論様々な事情はあるまろうが、その精神性を持って生活する事は可能だと。
これが一つ目。
二つ目が自分を愛せないと悩んでいるならば、自分を愛せないままでよくて、クリシュナ(神様)を愛する事に視点を変えましょう。
というものだった。
この2つは結構斬新というか、ヨガを真剣にやっている人の視点だと思って関心した。
しかし一方で、どこかピンと来なかった。
という事で文を作る事が疲れてきたのでもういいや