以前共同生活を体験していた事
他人との共同生活のあるあるの一つに、洗い物を誰がするか。から問題が発生するというものがある。
ここで言う洗い物とは例えで、日常生活を送る中でこれは誰がするのか?という問題が発生し続けるのだ。
それはルールを決めても、マニュアルを決めても解決はしない。ある程度解決する部分もあるが、ルールがあるが故により問題が大きくなることもある。
それの象徴が洗い物という節はあるだろう。
基本は自分が使ったものは自分で洗うなのだが、みんなで使ったものもあったりする。
当番制にするのは解決の一つだが、給食みたいにルーティン的なことでも無いし、それが息苦しさを感じさせる事もある。
という前提の共同生活あるある
僕も御多分に洩れず経験したが少し違う学びが
僕は洗い物はやった感じがするので好きな方だ。むしろ掃き掃除とかの方がやる意味をあまり感じないので好きじゃ無い。
毎日掃き掃除する意味って無いと思う。まぁいいか。
だから洗い物は率先してやっていたし、多分役割分担として誰もやらないだろうなぁという仕事は僕が多くやっていた。
しかしそれについて僕は特段ストレスもなく、それでうまく周っているのであれば良いと思っていた。
しかしある日に共同生活者の人から僕の食器の洗い方を注意された。なんでも洗い残しがあったそうな。
でそれを指摘をされたときに、僕の心は全然違うところに行ってしまい、『あーもうやりたくないなぁ』と一瞬で思ってしまった。
そう。何故人の仕事をボランティアで引き受けているのに、何故注意されないといけないのだろうか。であれば自分で洗ったら?
という気持ちになったのだ。
それを僕は相手に伝えなかったのだけど、僕はモチベーションが無くなってしまったので以後誰も拾わないボール(仕事)はそのまま落ちる事になった。つまり洗い物が放置される事に。(勿論僕の食器は自分で自分のものは洗うけど)
なんか心って難しいなと思った。
僕は洗い物(それ以外のことも)嫌々やっていたわけでは無かったのだ。むしろ達成感を感じたり、終わっていく爽快感を感じたりしていた。しかし言葉によって一瞬にしてやりたくなくなった。そして以後やりたいという気持ちは芽生えなかった。
芽生えないものは仕方が無い。努力して芽生えさせるものじゃない。
僕は心なんてそんなもんなんだと思う。
少しの違いでやる気にもなれば、やる気がなくなる事もある。
そして共同生活というものは基本的に難しいものなのだ