今見た夢は覚えていない。そもそも夢を見ていたのか
さて寝る前に読んだ本の中からふと思った事
前々から思っていた
そこにはこう書いてあった、人の性格を決定するのは
・遺伝50%
・環境○%
・本人の心構え○%
僕ははぁ?と読んでいて思うのだが、他の人はアホくさとか思わないのだろうか。
そもそも性格というのは捉えどころの無いものだ。この人はワガママな性格だ。とかもどこからがワガママでどこからはワガママでは無いのか基準など無い。
そして、その50%という数字はどこからどうやって、どのような検査で調べたのだろうか。
何人を対象に?どのような手段で?
考えれば考えるほど謎が深まる。
そういえば幸福度ランキングもアホくさい感じの匂いがするのは僕だけなのか
しかしこの手の意味不明なデータの突きつけはそこらじゅうに転がっている。
そしてそれに箔をつけ、威光を増すのは学者という肩書きだ。
そのデータの提唱者が大学教授であればさもその主張が正しいように感じる。
そしてその主張やデータが一人歩きする
ある心理学者によれば…という文脈て使われて続ける。
僕は別に人の性格は50%遺伝であるという理論自体に反論があるわけではなく、その理論自体がテキトーやろ。というところにバカバカしさを感じる。
フランクリンの夜の霧も、精神的な豊かさや希望を持っている人が生き延びていた、みたい表現がある。絶望の中でも人生の価値は見出せるみたいな
それ自体は否定しない。それに救われる人もいる。しかしそれはフランクリンの主張であり、科学的データでは無い。ただ個人的な考えを披露しているだけだと思う。
そこに精神科医という肩書きやユダヤ人で収容者である経験が威光を増しているだけだ
この主張はとても素晴らしいし、人を勇気づけるのだが、主張自体はアホくさいのだ
この手のデータや根拠づけのアホくさい反乱は沢山ある。または学者が言っていた理論