昨日読んだ本

昨日どうしても頑張れない人たちという本を読み、その影響で少し考える

 

そこにはこんな感じの方が書いてあった

 

人が自信を持つためにはつまり人からの承認や評価が必要で、無人島でたった一人でいたら(例えば)音楽を作ろうという気にもならない。

 

僕はあーなるほど。と思った。

 

結構最近読む自信や自己肯定感の論調ってむしろ逆で、他人の目(承認や評価)は気にするな。という感じが多いように思う。

承認欲求など捨て去れ。プライドなんか捨てろ、とか。

 

その論調の背景は他人の評価を気にするというのは他人の軸で生きる事になるし、それは自分ではコントロール出来ない部分が多いからだ

つまり他人に評価されるから自信を持つのではなく、自分で自分を評価されるから自信が持てるのだ。という事だろう。

 

自己評価と他者評価

 

僕が改めてなんか納得感があったのは、最近の論調について、

 

たしかに理屈ではそうなのだけど、実際自己評価で自己満足するって難しいよなっていう気持ちがあったからだ。

自己評価自体他者評価を考慮したものでしかないような気がしていた。

だから逆に他人からの評価や承認がつまりは自信に繋がるんだという主張はある意味意表を突かれた感じがした。変にオブラートに包んでいないから。

 

発達障害の子供を支援するところで働いた事がある。そこで聞いた支援者の方の話

 

発達障害(にも沢山のパターンがあるからあと括りにはできないというのが大前提だが)がある子供の中に、人の感情が読み取れないという子がいて、それは痛いからやめてほしいとか、嫌だからやめて欲しいとか、そうゆうのがわからないため人から嫌われてしまう(他者からの評価が下がる)。周りからは常に注意され、叱られ、避けられる。本人なりに工夫しようともしている。しかし出来ない。

それが積もり積もって、自己肯定感が育まれなくなり、より他者に対して懐疑的な性格になっていく子がいる。

 

自業自得や身から出た錆とも言えるのだけど、自分の行いにより、他者からそれを評価され、その評価によって更に自信を無くし、という悪循環の中にいるわけだ

 

この例もそうだけど実際は他者から良い評価が無いと、自己肯定感は育まれないよね。っていうシンプルな主張なのだ。

 

一方で、他者から肯定されれば自信は持て、自己肯定感は養えるのだ。という公式に出来るかというのはそうではないだろう。

何故ならば凄く周囲から承認・評価されているような人でも自殺をしたり、根本的な自信が無い人っていうのはいるからだ

彼等は社会的地位が高かったり偉業を成したりしている。それは他者評価が高いということだ。他者評価が自分の自信に繋がるならばそんな事は起きないはずでは無いか。なぜならば彼らは沢山の承認や評価を貰っているから。

 

だからつまり自己肯定感や自信とは何か。という疑問と問いが生まれるのだ。結局のところ何なのだろうかと。

 

しかしこの本に、他者からの評価であるとシンプルに書かれていたのは変に納得感もあった。