残しておこう

今日も憂鬱だった。

会社休もうかと思いながら

 

少し鬱々と考えていた事を書いておこう

 

僕は小学生の頃は特に性格が最悪で普通に人をいじめていた。

それもジャイアン的ないじめというよりスネ夫がいじめをしていたような。気が小さいやつが更に気の小さい人をいじめるような、醜い感じ。

 

小さい頃の僕は多少器用だったところもあって、その優越感が助長した。

 

小学生までは我が物顔だったが、そんな性格をしてたから中学の時にボス的な友人にシカトを受けて、それから周囲から距離ができた。

その時に孤独を感じた。あれはいい薬だった。

 

程なくするとそのシカトも解けた。しかし僕の中で大きな不信感や寂しさがあった。

当然の報いなのに、僕はまだ甘えがあったんだろうと思う

 

元々実は壊れていたんだが、友人関係は更に壊れた。

 

同時に満たされないプライドについて悩むようになる

 

幼少期に器用だった自画像と、遺伝なのか僕は凄くできるのだという強いプライドが僕にはある。

 

中学になると色々差が出てくる。

僕はそれを埋めようと僕なりに頑張る

 

おそらく僕なりに勉強も部活も頑張った。

頑張れてないんじゃないのかと葛藤を持つこともあったけれど、それも含めて僕の限界はあそこだったんだと思う。

 

昔はやり方が悪かったからじゃないかとか、努力不足だったんじゃないかとか、出ない結果について解釈を加えていたけれど、多分僕はあの当時の限界だったのだと思う。

 

僕はプライドを満たそうと頑張った。

しかし結果は出なかった。

結果という残酷な事実に自分のプライドはズタズタになった。

 

しかしプライドが折れて円熟してくるといえよりもより水が濁ってしまった。根っこには満たされないプライド。しかし厳しい現実。

その事実から僕は鬱々と悩むようになる

 

どこかで夢中になって何かに取り組みたい。そして本音はプライドを満たしたい。そんな動機がある中で仕事につく

 

仕事ではフルコミではないが実力主義の営業会社に入った。

まぁまぁ職場環境がマッチしたのか、僕はまぁまぁ仕事を楽しめていた。

 

今思えばあの日々がしまっておいたプライドを少し外に出してしまったのだと思う

 

多少売り上げが良かったので僕は出来るんじゃないかと錯覚してしまった。

 

でも事実は自分ができる側である論理的な根拠など何一つない。

 

客観的にみて僕は社会不適合だ。

対人関係もまともには築けない。そんなやつが営業で売れるわけはない。

結局会社の看板を借り、マーケットに力を借りて売っていただけなんだ。

 

その事実がわかっていないんだと思う。

 

そんな中でやはりうまくいかなくなって前の会社を辞める。